サドベリースクールの卒業生たちは今

サドベリーを出た人たちの今を記事にしたり、自分を生きるとはどういうことなのか、日々考えながら書いてます。

個の意見よりも場としての決定が上だが、学校よりも子どもが上。

 

僕がスタッフをしていたときに大切にしていたことを書きます。

 

サドベリーでは、子どもも大人も同じ一人の人間として対等に扱われます。
話し合いで学校運営、日常活動を決定していき、大人だけで解決すべきである問題は存在せず、全ての議題を子どもも参加して話し合います。

 

そんな基本的な理念を元に、全ての活動を子どもたちが自分で決めて行っていきます。

 

100%子どもを信頼する

 

話し合いにおいては子どもも大人も対等に一票を持ち、賛成も反対も必ず意見を出して議論が尽くされた段階で多数決によりジャッジします。

この決定においては、個の意見よりもミーティング決定が優先されます。
学校としてどういった方向性をとるか、どのように自治するかが焦点です。

 

ここで間違ってはいけないと思うのが、“サドベリーとして”どうすべきか?
という点です。

 

サドベリースクールを名乗るからにはボストンで発祥した理念を取り入れてやっているということですから、時間割作ろうぜとか大人が子どもに指図しようぜってなるとそれはもうサドベリーではないわけです。

 

それを恐れてはいけない

 

議論の末、サドベリーでなくなってもいいと思っていました。
個の意見が出尽くした結果、場としての決定が
「時間割を大人に作ってもらう学校にしよう」
「大人が子どもをコントロールしている環境がやりやすい」
となる可能性はゼロではありません。

 

サドベリーはどんなスタイルでやるかも自分たちで話し合えるのが理念だと思っていて、サドベリーでない学校にすら変えてしまえると思っています。

その選択がその場のベストなのであれば、サドベリーの看板を降ろしてもいいのです。
それだけ言える土壌が出来てるかってことなんです。

 

サドベリースクールとしてどうすべきか?という視点よりも、その場の話し合いとしてどうすべきか?が全てなんです。

それが子どもたち自身が自治をするということだと思ってやっていました。

 

極論なのであまり話し合いに出てきたことはありませんが、心構えとしてはいつもこのように思って取り組んでいました。

 

僕はサドベリースクールで働きたいから、学校制度そのものが変わってしまうとスタッフを続けられないかもしれませんが、子どもたちの話し合いによるものならばそれも全力でサポートする。

 

それが僕のポリシーです。