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サドベリースクールの卒業生たちは今

サドベリーを出た人たちの今を記事にしたり、自分を生きるとはどういうことなのか、日々考えながら書いてます。

Q3.自分が選んだ学校でしっかりと頑張れる自信はあるのですか?

Q&A~世の中の声に応えます~
 
 
こんにちは。スーザンです。
 
サドベリーOBOGへの質問コーナー第3弾!!3人が答えてくれています。
質問してみたい方はお気軽にご連絡くださいね。

Contact 

管理人スーザンこと、鈴木一真
just.to.be.you0623 gmail.com ←@を入れてください。

 
 
今回は僕の友達から質問をいただきました。なんか、質問した人自身が色々抱えているんだなということが垣間見える問いですね。また語ろう。
 
 

 

  1. 自分が選んだ学校でしっかりと頑張れる自信はあるのですか?
  2. 決められてる学校に行ったときと違う成果がもたらされるんですか?
  3. もがき苦しみ文句は言わないんですか?
 
 
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『一人目』

  1. 自分が選んだ学校でしっかりと頑張れる自信があるかないかは、人それぞれその時々によるかと思います。自分が選んだ学校でしっかりと頑張れると思うときはそう思いますし、そう思わないときはそうは思いません。

    つまり、自分で選んだのだからしっかりと頑張らなくてはならない、自信がなくてはならない、そういう一時的な考えにとらわれることがないということかと思います。いや、厳密に言えば、ある考えに執着してしまうということはあるが、それが相対的な判断であり、その価値基準に固執して疲れ果てる必要はないということを思い出すことができるということかと思います。

    個人的には、これはオルタナティヴ教育を受けたことの特徴のひとつであると考えています。

  2. 大局的に考えれば、人間というものはどんな人間も本質的には同じなので違う成果ーー成果をどの時点で判断するかにもよりますがーーがもたらせられることはないと考えています。

    また、決められてる学校(公教育)にしろオルタナティヴ教育にしろ、それを受けるものにとって決定的なのは、教育システムのあり方ではなく、そこに携わる人、つまり、教育者の質であると考えています。しかし、それでも公教育と民主主義的教育をうけることにある程度の差異は認められるとは思います。

    ゴールは同じであるがそこへのアプローチが違う、もしくはそのアプローチが自由である。1+1という問いの答えは2ですが、󾭱︎+󾭱︎=10という問いの応えは無限にあり得ますそういう意味での違いはあるかもしれません。

    なので、一般的な判断によるならば、(詰め込み型の象徴としての)公教育とオルタナティヴ教育の差異は徹底的であり、180度違う成果が得られると言わなければならないのかもしれません。ただ、何れにせよ、こうすれば必ずこうなる、というようなことは言い切れないのではないかなとは考えています。

  3. 生きていればもがき苦しむし文句も言います。むしろ、もがき苦しまず文句を言わない人間は存在しないとさえ考えています。また、苦しむことや文句を言うことが悪いこと、もしくは劣等感を得ることであるとも考えていません。
    それどころか、もがき苦しみ文句をいう現実が決定的であるからこそ、それをしてなお願うことができると感動するほどです。

    もがき苦しみ文句をいうことの意義、そういうことの重要性を理解したいと願い続けています。
 
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『二人目』

  1. これはフリースクールを選んだらという意味?

    それとも全て学校?

    何を頑張るかもよくわからんから
    うまく答えられる自信がないが

    そもそも頑張らないといけないとは思えない
    何かを成したいなら努力は必要だけど
    ただ行きていくだけならそんなに頑張る事もないと思う

    これでは全く質問に答えてないから
    自信は有るかと聞かれたら
    有るとは答えるけど今まででいたところで全て全力で頑張ってきたかと言えば嘘になる

    頑張れると思ったけど頑張れない時もあるよね
    まぁそれはどの道を選ぶのしても言える事じゃない

  2. これは聞かれて一番困るやつ

    なんたって普通の学校に行った事がないから
    わからないとしか言いようがない

    何を持って成果と言えるかもわからないけど成果はあると思うね
    何とも言えんなぁ

    まず話し合いの技術は高まると思う

    まぁでもそれもその人次第よね
    ミーティングにほとんど参加せずに
    辞める事も出来るし

    まぁあとは普通とは違うから
    話のネタににはなるかぁ
    興味持ってもらいやすいから便利

    前はよく学校行ってない事隠してたけどね、、
    結局どんな成果かあるかはそこでどう過ごしたかよるから人それぞれよね

    多分普通の学校より時間はあるからし出来る事も多いから
    やろうと思えば色んな成果を得られると思うね
    スタッフに頼んで起業してみるとかw

  3. むっちゃ言う
    俺のフリースクールの友達みんな言うよ

    よく前向きですねとか言われるけど
    それは話し合いとか人前でそれを出す意味が薄いと思ってるからじゃないかなぁ

    ましてやこういう質問には
    フリースクールをよく思って欲しいから
    明るい事書くよね

    フリースクールに通ってたから不便を感じた事は全然ないけど
    自分が勉強しなかったから
    辛い事はあるなぁ
 
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 『三人目』

  1. 自信と言うならば、無い、と言うのが一番近い表現になります。

    僕は12歳のときにサドベリーへ入学しましたが、何か頑張りたいというよりも、当時は公教育に縛られていると思い込んでいたので、解放されたかったとか、この学校で自分は何がしたいのかを考えたいとか、色んな理由が見て取れますが、とにかく、ここで学んで行きたい!と思って入学しました。

    その後、自分のやりたいことを探し、試行錯誤して「しっかりと」とか、「俺は頑張った」と言えるかは分かりませんが、サドベリーを学んだよ、とは思っています。自信があるから選ぶのではなく、自信が無い、分からないからこそあえてその道を選ぶというときもあります。

  2. 間違いなく、違う成果が得られます。
    公教育も、サドベリーも、他の学校も、家で過ごしているのでも、どの道を選んでも違った成果は得られます。それに、同じ学校へ行ったとしても、人によって成果は違います。というか、その人が何をもって成果とするかという思考が僅かにでも違う時点で、同じとは言えないのではないかと思います。

    人間はどこで何をしていても、必ず未来に活かすことができ得ると思っています。成果というより、人生の糧と表現する方がしっくりきますね。それをどう活かすかしだいで、成果をどのように考えるかも変わってくると思います。

    僕も高校へ行っていたらどうなっていただろう?とか、大学へ行っていたらどうなっていただろう?と妄想するのは大好きですが、比べる必要は無いと思っています。

    今の自分に何が必要なのか、という視点で僕は12歳のときに学校を選び直しました。サドベリーで得られたと思っているものは、自分の人生を自分で決められるようになったとか、自分の自由と他人の自由がある意味がわかって個人を尊重できるようになったとか、やりたい仕事を妥協せずにやっていく決意とか、色々あるんですけど、人によって学ぶことが千差万別なのがサドベリーでもあると思います。

  3. もがき苦しみ文句は言わないんですか?
    僕は言います。ほとんどの人が言うし、言わない(言えない)人もいるかもしれないけど苦しいと思ったことが無いという人はいないと思っています。

    ただ、“苦しみの吐露”と“文句”は少し違うと思っていて、何かを責めたり人のせいにするような文句は言った瞬間には、自分をも傷つけてしまう一面もあるんですけど、苦しみを抱えていることを吐き出せたり、誰かに認めてもらえたときはすごく癒されたり、救われたりもします。言い方によってどっちかわからんくなったりもするんですけど、それも上手に出せたらいいなと思います。

    もし苦しむことのない生涯があるとしたら、幸せの意味を忘れてしまえば、不幸せの意味も忘れられるかもしれないなと思うんですが、それは嫌ですね。