サドベリースクールの卒業生たちは今

サドベリーを出た人たちの今を記事にしたり、自分を生きるとはどういうことなのか、日々考えながら書いてます。

掃除に関する生徒とスタッフの押し問答~対等な関係性とは~

こんにちは。スーザンです。

今日はサドベリースクールという学校における生徒とスタッフの対等な関係性を、スクールの掃除についての話題から考察してみます。

ルールについて、その存在意義から話し合うのがサドベリー。日々こんなやり取りを積み重ねて、自分達の学び場を自治していきます。

実例を書くので少し長いですけど、読んでくれたら嬉しいです。

 

掃除をやりたくないからしたくない。と言う生徒。

 

 

これは僕が西宮サドベリー生徒時代に提案した話です。
 
当時はその日毎に掃除の担当者が決まっていて、生徒もスタッフもみんな同じような頻度で掃除の担当をしていました。
 
僕が入学する前に話し合われてできたシステムです。
 
そのシステムに違和感があった(というか気にくわなかった)僕は、ミーティングに議題を出しました。
 
「掃除をしたくない」
 
特に理由を考えずにただやりたくないと言っただけだったので、最初はあまり話し合いにすらなりませんでした。理由がなくて代替案もないから検討のしようもありませんよね。
 
それから色々考えて、やはり掃除はやりたくなかったので、「サドベリーは時間が無くて全て自分で活動を決めていけるのに、掃除の時間というカリキュラムがあるじゃないか。」とか、「スタッフに掃除の分の給料をプラスしてもいいから生徒ではやりたくない」という意見までも出しました。
 
最初はただの勝手な湧いてきた気持ちだったのが、それを実現させるために、めんどくさいけどミーティングで意見を出して、ルールを変えるに至りました。
 
めんどくさいからルールに従っとくのも、必要に応じてルールを変えるのもサドベリーではよくあることです。
 
一見ワガママとも取れますが、単なるワガママであったとしても、それを聞いてくれる人などいません。逆に、本気でワガママを言って、みんなを納得させることができれば、ルールを変えることもできちゃいます。
 
何を選ぶも、自分が納得して気持ちよく過ごせていればいいのです。正解不正解は無く、あるのは本人による選択のみです。
 
.........そしてその後、僕は西宮サドベリーのスタッフになってまんまと掃除をするはめになるんですが、これは奇遇なのか、神のお導きか、一体なんなんでしょうね。
 

掃除をやりたくないからしたくない。と言う生徒。

 
??
同じことを二回書いてるぞ?なぜだ?
まさか、デジャビュ!?
 
ちなみにみなさん
デジャビュ経験はおありですか?
僕は結構よくあります。不思議ですよねー。
そんな話は置いといてと、、、
 
そのまさか、現在八ヶ岳サドベリーのスタッフになっている僕の前に、「掃除をやりたくない」と言う生徒が現れています。
 
八ヶ岳サドベリーのルールでは、
・毎日2時半から全員で掃除をする
・誰がどこを担当するかは掃除リーダーが決める
 
となっているのですが、この掃除リーダーの生徒がよく「今日は掃除やめよっか?」とか、その時だけの気分としか思えないような感じで言うのです。校舎が広いので、確かにめんどくさいとは思いますが。
 
サドベリーはミーティングで承認さえ取れればどんな活動でも自由に行うことができます。それは反面、ミーティング決定をどのように守っていくかがとても大事な意味を含んでいると思っています。
 
ルールがおかしければ変えることもできるわけだし。その辺、僕がスタッフになったこの1月から、かなり譲らずに主張しているのですが、最近は普通に掃除がされています。今は変えるほどの事でもないのかな。
 
これは、ルールを守るのが常識だとか、僕が大人だから、ではなく、僕がサドベリーの自由に何でも決めることができるミーティングの意義を維持した方がいいと強く思うから、です。
 
 
 

おわりに

重ねて言いますが、ルールを守るのが当たり前、ではなく、ルールを守った方がいいと思う人がいるから、このような問答が生まれているのだと思います。生徒同士でも、ルールを教え合うようなやりとりはよくあります。

誰もルールを守らなくなって、一度ルールを無くしたサドベリーもあります。その後必要性を感じで再度ルールが作られたそうですが、その時集まった人によって、必要な事を決めるという、とてもシンプルかつ柔軟で、無理のない自然なシステムなのです。

掃除をやりたくないからスタッフにやらせようと目論んだ生徒が、10数年を経て、違う学校でスタッフになり、やりたくないならスタッフに掃除代金支払ってやってもらったら?と生徒に提案しているという、何とも不思議なお話でした。

おしまい。