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サドベリースクールの卒業生たちは今

サドベリーを出た人たちの今を記事にしたり、自分を生きるとはどういうことなのか、日々考えながら書いてます。

依存と支配が無くなったときが自由。

心の持ち方。

考え方や捉え方、価値観とも言えますが、この表現がしっくりきました。
 
ようは、心の持ち方なんじゃないですか。というお話です。
 
 

依存が引き起こすこと。

僕は小学校六年生まで、公立の学校へ行っていましたが、その間はずっと学校に依存していました。行かされている。やらされている。から、楽しくないのは人のせい。
 
思春期は特に、親に理想を求めていました。もっとカッコよく(外面、ステータス的に)あってほしい。自分がカッコよくなろうとは思わずに。本当はなりたいのに。
 
こんな状態では、自分の本当の力はむしろ発揮できなくなってしまいますよね。逆にどんどんカッコよくなくなっていきます。
 
 

 

支配が引き起こすこと。

僕は3歳下の弟に、何かで劣ってはならない。と思い込み続けていました。身長や物理的な力、知識や技術、あらゆる分野で勝っていないと兄の威厳が保たれない。と。
 
“潰れて困る面子など、元から無いも同じだ”
なんて今では偉そうに言ってますが、当時の僕が今の僕を見たらどう思うんでしょうね。笑
 
そうして弟を支配し、劣っている自分を支配していたのです。支配していないとどうにかなってしまうのではないかと。これでは、自分の本領が発揮できるとは到底思えません。
 
 

本領発揮といこうじゃないか。

本当の現実は甘くも厳しくもなくて、その時の自分がどう思ったか、感じたか、です。なるべくストレートに受け止め、それでも自分がやりたいことをやるためにはどうすればいいのか、自分はどうしたいのか、だけ、考えればいいのです。
 
依存も支配も無いほうが、燃費は良いし、最速でやりたいことができると僕は考えます。そのためには意味の無い消耗は省くべきです。
 
親がカッコよくなくていいんだ。親だってただの人間なんだ。と思えた瞬間から、ただの人間にしてはあり得ないほどの恩をいただいていることに気付き、弟に劣っていいと思えた瞬間から、僕の弟に生まれてくれたこと自体が奇跡で、本当によく兄をサポートしてくれている最高の存在であることに気付きました。
 
あのときの感覚をわかりやすく表現するとしたら、ドラゴンボール孫悟空が界王さまとの修行で身に着けていた何トンもの手枷足枷を外したときのような感覚でしたね。
 
 

どこへ行ってもやっていける。

通う学校を選ぶにしても、公立校に行けないからフリースクールへ行くしかない...ではなく、公立校とかサドベリーとか色んな教育や学びのスタイルがあるけど、自分が行くなら何を学べるだろう、何がしたいだろう。
 
公立校はもうオワコンだから、仕方なく学校立ち上げるしかないよもう!ではなく、子どもの数だけある個性を活かすにはどんな教育や学び、学校が必要なんだろう?
 
というような心持ちで通う学校を選んだり、立ち上げてほしいです。
 
そうやって考えた上の選択なら、オルタナティブスクールもありだし、公立校もあり、はたまたホームエデュケーションでも、どんな場所でもやっていけると思います。
 
 

おわりに。

自分の中で、依存と支配が無ければどうにかなってしまうんじゃないかという葛藤に勝とうよというお話なんですが、僕の考えでは、依存と支配を消滅させるというイメージではありません。
 
依存したくなるのも、支配してしまうのも、人間の性であります。それを忘れようとしてもよくわからなくなってしまうし、殺してしまうと二度と向き合えなくなるばかりか、自分もダメージを受けちゃいます。
 
存在を認めて踏襲しながらも、必要な変化をしていくのが無理なく自然で、僕は好きですね。