読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

サドベリースクールの卒業生たちは今

サドベリーを出た人たちの今を記事にしたり、自分を生きるとはどういうことなのか、日々考えながら書いてます。

公教育批判してる人ってゲームにハマってる子どもみたいな感じがする。

Sociaty~社会に思うこと~ Human~人間関係~ Mylife~趣味:自分と向き合う~

ふと思い付いたので、書きます。

 
公教育を批判してる人。まだまだ多いです。吐き出したい気持ちはわかるけど、必要以上の批判はやっぱりよくない。
 
嫌な思いさせられた相手には嫌な思いさせていいというのは、ウンコ投げ付けられたから他の人に投げ付けてもいいや。みたいなもんです。自暴自棄に加えて、人間関係に最も大切な信頼が欠如しています。不要な消耗を生むのでやめておきましょう。てかまず汚れたところを見て、洗おうぜ。
 
それだけ色んな経験しちゃってるんだろうし、現在の公教育に問題点もあるんだと思います。それに、どんなに良いものであっても、常に批判的な視点も必要です。
 
この件に関して、決して軽んじてるわけではないんですが、ゲームにハマってる子どもと同じような感じがしたので、比較してみます。
 

 

・その瞬間、自分の最もこだわりたい部分の活動で熱量がすごい。
 
・時間が過ぎると熱が冷める。違うことをしたくなるか、単純に飽きる。
 
・人と場合によっては、ストレス解消のツールになっている。
 
・盲目的に依存している人がいる
 
・それが本当にやりたいことで、仕事にしたり、ライフワークになってく人もいる。
 
どちらも盲目的に邁進しちゃいすぎるとどうなんだろう?と思いますが、ここで大きな違いを見つけました。ゲームは多かれ少なかれ、楽しくて自ら進んでやっていますよね。特に子どもは。
 
ゲームはやっていて楽しい。一緒に遊んだ人と仲良くなれる。楽しみつつ、このままでいいのか不安な感じもする。
 
批判は言った瞬間はスッキリした気がする。
けど、後からもやっとが残る。相手をもやっとさせてしまう。
 
あれれ、何か全然違いましたね。何に価値基準を置くかですけど、本人が選択していて、その瞬間楽しんでいるというのは全然違いますね。すいません、ゲームにハマってる子どもの皆さん。いや、批判しているみなさんにもそれぞれ価値があるんですけどね。
 
結局それをどう捉えるか。どう活かすかになってきます。自分にとっての価値をどこに見出だすか。
 
 

おわりに

別に公教育を批判しても、ゲームにハマってもいいんですが、何の活動でも、今、自分が本当にやりたくてやっているのかどうか。本当に必要なことなのかどうか。という視点を持つことが大事です。
 
ここ、じっくり向き合っていくと人生が自分の思うように進んでいくキッカケになりますよ~!