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サドベリースクールの卒業生たちは今

サドベリーを出た人たちの今を記事にしたり、自分を生きるとはどういうことなのか、日々考えながら書いてます。

僕は自己肯定感を感じたことがありません。

Sociaty~社会に思うこと~ Mylife~趣味:自分と向き合う~

 

 

こんにちは。自己肯定感を感じたことがないスーザン(@HunterSussan)です。

 

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寂しい人なんです。慰めてください…という話ではなくてですね。笑


教育・保育関係でよく言われている「自己肯定感」という言葉。
高い方が良いとか、高めるために云々とか、理解はするし、そのための実践を積まれている方はとても尊敬できます。

だけど、僕もそうしようとは思えません。思えないというか、自己を肯定するという感覚が無いんです。我ながら、クセが強すぎてキモイくらいです。


自己を肯定していないって、死んでるのと同じやん。

デモクラティックスクールのOBで、笑いながらこう言った子もいました。
確かに、存在してることを否定はできないですよね。笑

 

 

自分をどれだけ持て囃そうが、どれだけ卑下しようが、そこに自分がいることは変わりません。

○×ボタンがあって押せばそのままに動く機械でもなければ、ヒーローや悪役など空想の世界に登場する人物でもない、人間には、その人がその時にしか感じ得ない感性があります。

ときに、頑張った自分を肯定してあげたくなったり、有り得ないミスを犯した自分を否定したくもなります。それはそう思ったのなら、そのまま受け入れればいいんです。

肯定してもいいし、否定をしてもいい。
でも、それが自分の人生や人格には直結しない。

生まれた時から、ただ自分がそこに在るだけ。

自分は自分でしかない。


僕にとっては、高い低いの話ではないんです。

 

おわりに。

たぶん、肯定してないことがないから、肯定できた!って思ったことがないんですよね。理論的には自己肯定感が高い状態なのだろうなとは思うので、高めようとしてる人と協力し合ったりも全然できるんですけど、一つだけ気になるのは、高めなければとか、高めた方がいいと価値観を固定化してしまうのは違うなと思います。

楽しいことをしているときはある意味highになっている状態とも言えます。肯定も否定も全て含めて自分なので、充実させようと無理して自分がわからなくなっては、本末転倒ですよね。