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サドベリースクールの卒業生たちは今

サドベリーを出た人たちの今を記事にしたり、自分を生きるとはどういうことなのか、日々考えながら書いてます。

サドベリーはポジティブでもネガティブでもなく、無の境地である。

こんにちは。スーザン(@HunterSussan) です。

サドベリースクールに12歳~18歳まで通っておりました。

 

色んな人がサドベリーに関わってきて、たまに違和感を感じることがあります。

 

それは、異常にポジティブな人、必要以上にネガティブな人です。

 

サドベリーが一番素晴らしい!最高!

サドベリーに通えば色んな活動ができる!

子ども時代にこんな自由な経験をさせたい!

って感じのポジティブな人達。

 

公教育はダメだ。もう関わりたくない…

公教育では私たちはやっていけない…

サドベリーしか行ける場所がない…

って感じのネガティブな人達。

 

ポジティブな人は、サドベリーはとにかくすごい!と考えています。自分が思うようにならなかったり、すごくないと感じることがあると、期待外れだとか、肩透かしを食らったような感じになります。ポジティブに見えているのは自分で作り上げているだけなんですけどね。

 

ネガティブな人は、自分とは違う誰かや何かの価値観に重きを置きすぎていて、自分がやっていることに自信を持てなかったりします。本当の意味で、サドベリーを選択できていません。ネガティブに見えているのも自分で作り出しているだけです。

 

無の境地。

何をしてもいいという自由は反面、一方的には誰も何も教えてくれないし、与えられる選択肢はない。自分の人生に関する提案をしてくれる、経験をさせてくれる人はどこにもいない。ということ。

何もしなくてもいい自由は反面、何もしないと何も起こらない。何もしないまま大人になっていくとしても、誰も責めてはこないけど、責任をとってくれる人はいない。ということ。

 

どんな道でも選んでいけるし、自分で道を作っていける。という自由と確信。

やりたいことをしたいなら、自分で全てやらなければならない。という責任と絶望。

 

どのように生きていくかは自分が決める。

 

おわりに。

自分以外の価値観に重きを置きすぎていると、どんどん自分がなくなっていくのは、実際の社会も同じだと思います。どんな価値観でもいいけど、まずは、重きを置くことを自分で決めているんだと自覚することから。