読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

サドベリースクールの卒業生たちは今

サドベリーを出た人たちの今を記事にしたり、自分を生きるとはどういうことなのか、日々考えながら書いてます。

自由を自治する意識が芽生えるまで。

 

こんにちは。日本のサドベリースクール請負人になりたいと思っています。

スーザン(@HunterSussan) です。

 

どっちかというと、学校作りたい人向けか、マニア向けの記事です。笑

 

サドベリースクールには何をやってもいい自由がありますが、その自由は、好き勝手できるだけとは次元が違って、自分たちで自治していくもの。そんな記事です。

 

「個」と「公」の関係性についてはこちらもぜひご参照を。

 

sussan.hatenablog.com

 

 

自分の自由と他者の自由。

たぶん、みんな始めから話し合いの必要性を理解して生まれてくるわけではないと思っています。色んな活動したり、やりたいことやってたら話し合う必然が生まれて、そこから自分たちで自治していくという意識が芽生えていくのだろうなと思います。(例:俺はこの部屋で爆音で音楽がしたい。私はこの部屋で静かに本を読みたい。どうしよう。みたいな。

 

 

サドベリーに留まらず、人が集まれば、どのコミュニティでも同じようなことは起こると思っていて、特に少人数のときは、公のミーティングで話し合う必要性がそもそも実感しにくいことがあると思います。俺とお前とお前がオッケーならいいよね!おう!みたいな。
 
あまりに機能してないなら、必要性を感じられていないなら、あえてミーティングを無くしてしまうことも可能です。ルールもそうだけど、必要に応じて存在してるし常に作り替えられていくものなので。
 
教育というものは、どうすれば正解というのはないんですけど、僕がスタッフとして関わるときには、ここは自由な学校で何でもできるんだけど、個の自由よりも、多数の人が関わることを想定した公のミーティングで決めたことが優先される。それが、個の自由を公が保証するということなんじゃないかな、と訴えていくということはしています。
 

サドベリーは社会に最も近い学校である。

さらに言うと、自分で自治をしていない、サドベリーの自由を理解できてない。ような子も普通に通えて、自分で決めて言わないと何も反映されないし、関わらないでいるうちに学校運営は変化していくというある意味厳しい部分も実感できるのがサドベリーだし、実際の社会もそうなんだろうなと思います。おわり。