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サドベリースクールの卒業生たちは今

サドベリーを出た人たちの今を記事にしたり、自分を生きるとはどういうことなのか、日々考えながら書いてます。

「一番目の真実の愛から産まれた子」

Human~人間関係~ Mylife~趣味:自分と向き合う~

 

こんにちは。スーザン(@HunterSussan) | Twitterです。

  
もうすぐ僕の誕生日ということで、生誕のルーツを辿ってみようと思い、母に改めて僕の名前をつけた理由を聞いてみました。ちょっと恥ずかしいんですが、愛について、語ってみます。
 
 
唯一直感で、歩人(あると)というのが浮かんだそうです。
 
スズキ…アルト…いや、クルマやん!
と思ったけど、母はこれが中々気に入っていたみたいです。
 
でも、やはりクルマのイメージしかない、一生言われ続けるかもしれないということで、違う名前を今度は頭で考えたそう。まぁ、こうなったらなったで、自分の名前を小ネタにして生きてたでしょうけどね。完全に。
 
太郎とか…悠真とか…色々浮かんだけれど、響きと字画で最終的には決めたそうです。
 
「一番目の真実の愛から産まれた子」という意味で、「一真」
 
いやぁ、いい名前だなぁ...…と感傷に浸りつつ、思ったことがあります。
 
僕は自己を肯定した感覚がないくらい、理論上の自己肯定感がたぶん高いです。それはやはり、母の無尽蔵の愛が心の根底にあるからではないか、親の無条件の愛が自己肯定感に繋がるのではないか、と。
 
僕はサドベリースクールに通ったことで人生が大きく変わったと思っています。でもそれは、一つのキッカケにすぎなくて。学校に通うこと、仕事をすること、それ以前に、家族と暮らす家庭、この世に生として僕を産み落としてくれた母の存在が、僕という生命体の全ての基盤になっているのだと思います。
 

一方的な愛は、ただのエゴ。

真実の愛は、人と人の間に生まれるもの。

人は、こんなにも私はあなたを愛しているのに、どうしてわかってくれないの?とか、こんなに私は寂しがっているのにどうしてあなたは愛してくれないの?と思うことが往々にしてありますが、これは、自分のことしか見てない(ということに向き合えてもいない)ときに陥りがちなことです。
 
愛というものは、僕は、自分と相手との間に生まれるものだと思っていて、本当はそこにあるかもしれない相手からの愛が見えてもいないのに、愛し合えるはずがないんです。
 
見返りを求めてるうちは愛なんかじゃない。それは、ただ、自分を愛したいだけなんです。でも、そう思ってしまうのも人の性です。エゴが一切無い人なんていないんじゃないでしょうか。僕自身そう思うことは多々あります。
 
そんな中、母は、父を愛し、僕が生まれたときには、この子が私の人生だ。って感じで全てを僕に捧げるように育ててくれました。
 
僕が母を愛しているかなんて関係なく、愛した結果や、見返りなど全く考えもせずに、ひたすらに僕を愛してくれました。本当にすごい人です。
 
偉大なる母の話でした。