サドベリースクールの卒業生たちは今

サドベリーを出た人たちの今を記事にしたり、自分を生きるとはどういうことなのか、日々考えながら書いてます。

学歴がなくてやばいのは、選ばれる側や与えられる側だからだ。選ぶ側や作る側になっちゃえばいい。

こんにちは。スーザン (@HunterSussan)です。

 
今回はこのつぶやきをお題に書いてみます。
 
https://twitter.com/HunterSussan?s=09
 
 
僕は法律上の学歴は中卒なので、大丈夫なの?それでいいの?と何万回も言われ、何億回と自分と向き合ってきていますが、いつもそこには、学歴がないとやばいという観点と、学歴がなくても大丈夫という観点があるだけです。
 
自分の観点がどこにあるか、観点は必要に応じて変えられる。ので、やばいかやばくないかは分かりません。どっちでもいいです。
 
 

 

与えられる側だからやばい。

もしやばいとしたら、何がやばいんだろうなと考えたんですが、誰かに学歴の有無で判断される立ち位置を取ってるからなんですよね。指示を待つだけだったり、選択肢を与えられる側だからやばいんですよ。
 
学歴に固執して高学歴というステータスを得たところで、必ず上には上がいます。誰かに勝ったと思った瞬間に誰かに負けているのです。そもそもその考え方で幸せでしょうか。
 

生き方を考えてみませんか。

やばくないとしたら、どういう観点があるでしょうか。法律上の学歴があろうとなかろうと、これまでに生きてきた自分だけの人生をみんな持っています。自分の人生をどう活かすのか。自ら人生を選ぶ側や作る側になっちゃえばいいんです。この側というのも一つの観点に過ぎません。何を選択するにせよ、自分で考えて行動しているという意識さえ持てていれば、全然やばくないです。自分で考える側になりましょう。
 
 

おわりに。

こちらは僕の履歴書について書いた記事ですが、人生を"学んだ歴”はみんなにあります。
 
 
学びって勉強とか体験とか、やったことだけじゃなくて、何もしていないときも、自分が何を感じてどう思ったとか、目に見えない自分と向き合って見えてくるものだと思います。
誰かや何かの価値観をベースに生きるのではなく、自分の価値観をベースに生きていればやばくないんじゃないかな。
 
どの価値観を選ぶかにおいて大切なのは、それで自分が幸せなのかどうか。