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サドベリースクールの卒業生たちは今

サドベリーを出た人たちの今を記事にしたり、自分を生きるとはどういうことなのか、日々考えながら書いてます。

子どもにとって最もよくないのは、大人が自分の観点でしか見ないこと。

Sociaty~社会に思うこと~ Student~生徒として思うこと~

こんにちは。スーザン (@HunterSussan) です。

 

子どもにとって、これは害悪だ!と叫ぶ人がいます。

子どもの可能性を広げなければならない!と頑張る人がいます。

 

それ自体は間違いじゃないけど、そう考えるのと同じように子どもも考えているかもしれない、ということを忘れて自分の観点でしか見ていないと、むしろその行為自体が害悪になり、可能性を狭めてしまうことになりかねない。

僕が生徒の頃、生徒は5人、学校は3K(6畳3部屋)の校舎で運営されていました。ある話し合いで、よりよい環境のために、音楽室があって、図書室があって、図工室が、大きなキッチンが、広いグラウンドが、大自然の中で、様々なことを教えられる多彩な人材を、色々あったら子どもの可能性が広がるよね~的な話が出たことがあります。

これ、間違いじゃないとは思うんですけど、当時の僕は、今出た話、全て僕が考えて必要なら必要な分だけ揃えるので、大丈夫です。って言ったんです。 

 

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どれだけ素晴らしい観点であっても、それは一つの観点に過ぎなくて、そのときのその人にマッチングするかは分かりません。

サドベリーやってると、すごい学校だなって思うこともあるんですけど、もしこれがベストだと思ってしまったら、僕は教育から離れるつもりです。

子どもには、それが自分にとって害悪かどうかを判断する力があり、自分の可能性を否定しないで生きていく力があるんです。

 

おわりに。

害悪だ!ではなく、こんな説もあるよ。とか。

可能性を広げなければ!ではなく、こんなやり方もあるよ。とか。

そんなので十分じゃないですかね。エネルギーを爆発させたくて仕方ない人は、子どもから離れたところで爆発させましょう。自分の鬱憤を他人で晴らすなんて愚かな行為はやめよう。それもあろうことか、世代を超えさせるなんて滑稽です。

 

あとは全部子どもに委ねる。委ねるというか、生まれた時点で全ての権利を持っているはずなので、不要に奪ってしまうということをしないこと。

大人が、自分の観点でしか見ないで子どもと接するというのが、子どもにとって最もよくないことなんです。