サドベリースクールの卒業生たちは今

サドベリーを出た人たちの今を記事にしたり、自分を生きるとはどういうことなのか、日々考えながら書いてます。

僕の親は、サドベリースクールを知らない。

こんにちは。スーザン(@HunterSussan)です。

 

親と子って何なんだろうなと日々考えていますが、ふと、僕の親は僕がしていることをほぼ何一つ把握していないなと思いました。

 

例えば、サドベリースクールに通っていたのに、親はサドベリースクールを知りません。笑

 

サドベリースクールに入るときは、僕が一人で見学に行って一人で入学を決めました。見学した帰りに家で「体験入学するわ。」と言って、体験入学した帰りに家で「入学するわ。」という感じです。

(弟が先に入学するときに母だけは同伴していたと思う。)

 

入学に関しては、親は申込書にサインをするだけで、決定権は完全に僕にありました。親は僕がサドベリースクールに入学することを検討していません。父に至っては、サドベリースクール、という単語すら覚えていないと思います。笑

 

子どもに興味がないのか、何も言わないのは無責任だろ。。。親らしくしてくれよ。。。なんて思うことも思春期にはありましたが、よくよく考えると、僕の人生を親にどうにかしてもらおうなんてのは甘えでしかありません。人と人なんだから。考えれば考えるほど、自分の未熟さが浮き彫りになりました。

 

親と子の人生は別物だ。ということを体現しているような両親でした。僕が実家を出るときの母は「心に穴が開くようだわ...」なんて言ったりもしてましたが。だからといってそれは子どもの人生と割りきっていたんだと思います。

 

もっというと、人前でも僕(と弟)のことを「この子」とか「子ども」とすら呼んでいなかった気がします。「この人」とか、名前でいつも呼ばれていた気がします。

 

この言葉で伝わるか分かりませんが、子育てをこうすればいいとかって方法論ではなく、信頼を体現しているような人なんです。まるで明日も太陽が昇るが如く、僕と弟の存在があるのです。

 

まとめると、僕は22年間親元にいましたが、子どもではなく、人として、育っていったんだろうなと思います。

 

今も両親はおそらく、僕の人生を全く知りません。僕が言いたければ言いますが、特に聞いてくることはないです。

でも、たまに電話したり手紙でやり取りがあると、節目節目で心に響く言葉をくれたりします。

 

子どものことを理解するとか、自由にさせるとか、何かを体験させる、ということ(方法)はあまり大事なことではなく、親と子の人生を人と人として、当たり前のように小さい頃から接してくれていたのが何よりのことだなと、親と子のことを考えるたびにひしひしと実感しています。