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サドベリースクールの卒業生たちは今

サドベリーを出た人たちの今を記事にしたり、自分を生きるとはどういうことなのか、日々考えながら書いてます。

「勉強」っていう概念そのものを疑い続けています。

Sociaty~社会に思うこと~ Mylife~趣味:自分と向き合う~ History~あるサドベリーOBの四半世紀~

 

こんにちは。スーザン(@HunterSussan) です。

 

「勉強」って何なんでしょうか。僕は小学校には6年通いながら、常に疑い続けていました。もちろんその後も、サドベリースクールに通いながら考え続けていました。

 

したくないのになんですんの?

役に立たないのになんですんの?

当たり前ってなに?

 

とは思うものの、やるからには100点を取らなければならない。って思ってました。というか、一応授業は受けてるわけですから、一回覚えたことを忘れるのが嫌だったんでしょうね。ほぼほぼ100点をとってました。やる理由が分かってなかったから全然嬉しくもなかったけど。

 

サドベリースクールにはカリキュラム(時間割)がない。ということでよく聞かれるのが、勉強するんですか?できるんですか?というやつです。

これ単体では実に浅はかな問いなんですが、そこから色々なことが起こります。「勉強するのは当たり前。疑ってはいけない。」という固定概念にサヨナラしたら、何かが始まるんです。考えましょう。自分なりの哲学しましょう。

 

サドベリーで聞かれて僕がよく言うのは、「公教育の教科学習という限られた観点での勉強は特にしないかもしれません。本人が必要と思わない限り。」という話です。詳しく書きますね。

 

実際に僕が見てきた範囲で例えてみます。

漢字が好きだからめっちゃ書く、

小説が好きだからめっちゃ読む、

計算好きだからそろばんする、

韓国語喋りたいから韓国人の先生呼んで喋ってみる、

野球好きだからめっちゃ練習する、

ギター弾きたいからめっちゃ練習する、

多くの友達と遊びたいからめっちゃ説得する、

パソコン作りたいから作り方学ぶ、

オンラインゲームで外国人とチャットしたくて英文を学ぶ、

遠足に行きたいから行き方調べる、

高卒認定試験を受けるから教科学習する、

大学受験するから受験勉強する、

一人暮らししたいから費用めっちゃ切り詰めて考える、

自分の人生が分からないからめっちゃ向き合う、

親が言うから仕方なく何となく勉強する、

勉強するのがサドベリーに通う条件だから勉強する、、、、

などなど色んなことが起こっていましたが、すべてに理由があるんですね。中にはくだらないのもいましたね。それも全部フラットに価値付けはされない中で本人が選んでるんですが。

 

よく見ると勉強してる子もいましたけど、「教科学習」という限られた観点での勉強というのは、多様な子ども達のあらゆる選択肢のあくまで一つなんです。

でも「勉強」という概念そのものをもっとよくよく考えてみると、自分に必要な経験を積むことを「勉強」と言えなくもないんじゃないかと思えてきます。

確かに勉強という言葉には、無理やり強いる、という意味も含まれていると思いますが、パティシエになりたいから製菓学校のことを勉強する。としたら強いられてはないですよね。

 

そういう意味では、サドベリーの活動中に知りたくなったことを知っていったり、必要なことを積み重ねていく、というのは実はとても熱心に勉強しているということなのかもしれません。

何事もよくよく考えていると一つの価値観に縛られる必要がなくなり、さらによくよく考えていると、自分なりの考え(哲学)が築き上げられていくと思うんです。

 

めっちゃ、ってめっちゃ書いたんですけど、これはすべての時間が本人の自由の中で何かやり始めたらとことん納得いくまでやってることが多いので強調してみました。笑

何事もゼロから自分と向き合うこと、よくよく考えることが好きで、常に考えたことを出し切るまで語り尽くしたいのが僕なんです。楽しいです。

 

おわり。