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サドベリースクールの卒業生たちは今

サドベリーを出た人たちの今を記事にしたり、自分を生きるとはどういうことなのか、日々考えながら書いてます。

「不登校でも大丈夫。」とは絶対に言っちゃいけない。

 

こんにちは。サドベリースクール請負人を目指す、スーザン (@HunterSussan) です。

 

さて今回は、普段当たり前のように使われている言葉を疑ってみようという記事です。

 

不登校でも大丈夫!」という言葉をよく聞きます。不登校支援はしていないサドベリー界隈ではほとんど使われませんが、これは、学校へ行かなければならない。という強い思い込みの反動からくる言い方のように思っています。

 

学校に行かなければとはもう思ってない人でも、無意識に大丈夫じゃないかも?と疑う前提があるから、大丈夫と言うんです。

 

掘り下げて考えていくと、学校に行かなければならない。と思い込む必要が無いだけだと思います。もっともっと考えると、不登校とかもはや関係なくて、人は自分のしていることが大丈夫だと思いたい。だけなのかもしれません。

 

本当は、すべての子どもが不登校でも大丈夫だと保証できる人なんていないはずで、逆にすべての子どもが学校に行かなければならないと確定させられる人もいないはずです。

 

それなのに、でも、と言っちゃう時点で暗にネガティブさを孕んでいますし、大丈夫!と言ってあげなきゃいけない弱い存在ということを無意識に認めていることになると思うんです。そもそも学校に行かないことはネガティブでもなんでもないし、逆に絶対に大丈夫!とか学校行かない方が素晴らしい!とかってポジティブに無理やり持ってくのもどうかなと思います。

 

ということは、普遍的には、すべての子どもにとって不登校になるのは大丈夫かは分からない。が正解ではないにしてもより正確なんじゃないかと思います。もし大丈夫だと言うとしても、あくまで一人ひとりの意見として、僕はそれで大丈夫だったよ。とか、あなたはそうしたいならそれが良いんじゃないかな。くらいしか言えないんです。

 

絶対に言っちゃいけない。と書いたのは、僕がそういう言い方はしたくないというだけです。皆さんは言ってもらっても構わないです。ただ、言葉の一つ一つが持つ力は考えてほしい。

 

昔は特に、行かなければ、という思い込みが強かったように思いますが、これからの子ども達は思い込みを持って生まれてはこないはずなので、もうその言葉は必要ないです。というか、必要がない社会にしていきませんか。

 

個人の私見ですが、「不登校でも大丈夫!」という言い方は、本当に学校へ行くことしか選択ができなかった時代の言葉だと思っています。今は、時代が少しずつですが変わり、行かないこともフラットに選択できるようになりつつあります。ここで大丈夫だと言ってしまうと、時代を逆行してしまうような、そんな気さえするんです。

 

だから僕は、不登校でも大丈夫。とはこれからも絶対に言いません。