サドベリースクールの卒業生たちは今

サドベリーを出た人たちの今を記事にしたり、自分を生きるとはどういうことなのか、日々考えながら書いてます。

生徒とスタッフの違い。

 

こんにちは。スーザン(@HunterSussan) です。

 

現在僕はサドベリーのスタッフ5年目になりますが、6年の生徒時代と比べて何が違うのかを書いてみようと思います。

 

カリキュラムは課されていない。どう思いどう動くかは自由。ミーティングでは1票の権利。学校運営には対等に意見を出せる。年上は偉い・年下は稚拙ということはない。何をしても何もしなくても評価されないけど、自分がしたことはすべて自分にかえり、日々の何事も学びとなり得る。 

 

このあたりは同じで保護者もほぼ同じですが加えて「活動には関与できない」 ということだと思います。同じことが多いように思われますが、僕は生徒とスタッフをやってみて、立場による必然的な特性の違いが大きいと感じています。

 

僕は生徒のときは主に、自分の人生をどうしていこうか。という視点でスクールに通っていたと思います。自分の好きなことをしたり悩みに悩んだり。その中で必要に応じて、人を増やしたいなら広報活動のことを考えたり、スクールが赤字になってつぶれるのが嫌なら予算を鑑みて不要な部分を添削したり。

 

これもどこまでどのようにするかも自由なので、例えば自らスクールの代表になってイベントをやったり広報活動に励んだ子もいましたが、広報に関しては僕はあまり関与していなかったと思います。スクールを存続させることよりもどうしたら自分が自由に活動できるのか。が主だったんです。

 

今度は、スタッフとしてどう動くべきか、という視点で考えてみます。前述の通りカリキュラムは課されていないので、本当にどう動くかは自由です。仕事をすることもしないこともできます。そもそも、サドベリースタッフは何が仕事なのかすら決まっていませんから。

 

一方で「生徒がスタッフを選ぶ」という前提で総括してみると、どうでしょうか。誰かに言われないと何も動かないスタッフと、自分から仕事を作ったりスクールの改善案を出してくるスタッフがいたとしたら。生徒が自分だけの好き・嫌いだけでスタッフを選ぶこともできますが、生徒の活動のサポートが満足できる人、広報戦略に長けた人、ミーティングでの話し合いが上手い人等、自分は好きでも嫌いでもスクールに必要な人をクビにしてスクールが潰れてしまうリスクも背負って考えなければなりません。

 

その結果としては、総合的な学校運営に必要なスタッフが選ばれるのは当然のことです。僕も生徒時代は自分が好きかどうかとこのスクールに必要な人材かどうかは完全に分けて考えていました。自分だけが好きなだけの人なら呼びたいときに呼べばよくて、皆のために毎日居てもらう必要はないんです。

 

この辺りまでで、生徒とスタッフの立場の違いを分かっていただけたでしょうか。

 

僕はスタッフとして雇われる以上、今後5年10年を見据えてサドベリーを成り立たせていけるよう、日常のサポートや学校運営に関する提案をしていきたいと思っています。ということをスタッフ選挙前の立候補プレゼンで言います。

 

サドベリーは「大人は何もしない」と言われますが、僕は提案をします。生徒一人ひとりに「君は将来のためにこれは習っておいた方がいいよ」なんてアホなことはしませんが、スクールの予算にみんなが興味を持たないうちに赤字になって潰れるのを黙って見てるようなアホなこともしません。

 

大人も子どもも楽しむ。というスタイルもありだと思いますが、サドベリーは違います。生徒が楽しむ(学ぶ)ためにスクールは存在し、そのスクール環境をより良く充実させていくためにスタッフは存在するのです。

 

ですので、継続的にサドベリーの文化が引き継がれるように人を集めるための広報イベントを提案したり、赤字になって潰れないように予算も提案します。むしろ、スクールの環境を充実させていくために自分が必要だと思ったら出し惜しみはしません。

 

僕はサドベリーのスタッフを今後も続けたいので、八ヶ岳サドベリーに雇われる限りは八ヶ岳で続けていきますが、最終的には、サドベリーに通いたい子とサドベリーを作りたい人のところに、僕が行けばサドベリーが成り立つ状態を目指しています。

 

おわり。