サドベリースクールの卒業生たちは今

サドベリーを出た人たちの今を記事にしたり、自分を生きるとはどういうことなのか、日々考えながら書いてます。

子どもが将来社会でやっていけるのか?という話。

こんにちは。かずまっくす@1/28栃木 (@HunterSussan) | Twitterです。
 
今回は「子どもが将来社会でやっていけるのか?」というお話をしていきます。まずはじめに、このテーマを語るということは、同時に「そもそも社会とは何か?」という問いをたてるということでもあります。いわゆる「就職(正社員)=やっていけている」みたいな古い固定観念はここではあえて語らないで、新しい可能性を探りたいと思います。
 
「社会」とは、なんですか?
  
逆に「社会でやっていけない」というのはどういう状態を指すでしょうか。働いてお金を稼ぐことができないとか、周りの人との人間関係がうまくいかないとか...それも一つとは思いますが、多少の失敗はしたとしても、「絶対にやっていけない」という状態はあまりイメージが思い浮かびません。「失敗は成功の母」と言われるくらいですし。一方で、「やっていけている」というのはどういう状態か。
 
いくつかの「社会」のイメージの話をしていきます。まず、学校は、自分に必要なことを学ぶために集う場所ですが、これは一つの小さな社会であると思います。ピアノや水泳の習い事や、音楽やスポーツ、オンラインコミュニティなどでの趣味の集まりも、一つの小さな社会といえます。家庭は「公」と「私」が無い場合もあると思いますが、家族であろうと「基本的人権を犯してはならない」という点では、小さな社会の一つといえます。仕事場、会社はどうでしょう。物を作ったり売ったり、世の中をより良くするためのアイデアを練ったり。これも、何かの目的のために集まる場所で、小さな社会です。こうして、どれも一つの小さな社会であると考えると、会社だけが社会であるという考えには違和感が生まれてきます。
 
僕は、子どもが家庭や学校から経験を積んで_何らかの大きな社会_へ出ていく。とはあまり思いません。家庭というごく小さな社会に生まれ、学校という小さな社会を経験し、また会社という小さな社会に移っていく。また同時に、趣味や友人関係などいくつもの小さな社会に身を置いたり、新たな社会を作っているとも思います。皆等しく大きな地球の上に存在する権利を持って、無数の小さな社会を転々としているだけなんです。
 
「社会」とは、それは、「人が生きるために、必要に応じてできた集合体」だと僕は思います。
 
「(何かをクリアしないと)将来社会でやっていけない」のではなく、「人がやっていくために社会を作る」のです。
 
 
多種多様な学校も増えてきて、公立校も変化を遂げています。一つの学校に合わなかったら、すべての学校でやっていけないなんてことはないと思います。一つの会社でダメであっても、世の中に会社はごまんとあります。一人の恋人とうまくいかなかったら、他の誰とも絶対にうまくいかないですか?もちろん一時的には苦しい辛い思いをするかもしれませんが、「すべてでやっていけない」というのはあまりにも根拠が無いことです。一つ一つの小さな社会で「やっていけている」かどうかを考えたときには、結局のところ、今の自分に(今いる社会に)満足しているかどうか、かなと思います。
 
この記事を書いているときに、デモクラティックスクールに通って大学に在学中の星山まりんさんが、ちょうど自身のブログを更新されて、“滑稽なのは、職種でも働き方でもなく、そこに意思がないこと、です。”と言っています。
 
ブログ記事はこちら↓
ai-am.net
 
サドベリーの話を少ししますが、デモクラティックスクールには、基本的人権を守り、どんな価値観も排除しない」という特徴があります。日々大小の問題が起こっても、「あの人はうちの社会のやり方には合わない人だから排除しよう」という選択がそう容易くはできません。常に相手との合意を図り、どんな人(価値観)も受け入れられる小さな社会を自分(たち)による自治で作り続けています。そんなスクールに長く通った子が、他の社会でやっていけないとは到底思えません。自分を尊重しているし同じように他人も尊重できるからです。
 
日本のサドベリーを出て今社会に出ている人達に、「一般的な与えられる勉強をしていないことで、何か困ったことはありますか?」と話を聞くと、出てくるのは「領収書の漢字がすぐに書けなくて、調べて書いた、お客さんに書いてもらった」という話くらいです。何も問題はありませんし、勉強していないことを誰も恥ずかしいと思っていません。恥ずべきは、自分の中にある羞恥心そのものということです。※サドベリーで自主的に勉強をこなして、大学や専門学校へ進学する子も少なくないです。
 
自殺してしまう人が多い現代の日本です。意思がないのに「当たり前だから就職する」といって嫌々働く人達は、果たして「社会でやっていけている」のでしょうか?
 
答えのないような問いにも思いますが、引き続き考えてみようと思います。